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丸木位里・俊の「原爆の図」移動展示会

投稿者:admin|投稿日:2022年9月10日

安房エリア5会場を巡回開催

安房反核フェスティバル

  • 2022年9月24日(土)〜28日(水)初日は13時〜/館山市コミュニティセンター ※①
  • 9月30日(金)〜10月2日(日)最終日は15時まで/誕生寺・鴨川市郷土資料館 ※②
  • 10月4日(火)〜6日(木)/道の駅とみうら枇杷倶楽部ギャラリー
  • 10月8日(土)〜9日(日)/鋸南町中央公民館
  • 10月12日(水)〜14日(金)/勝浦市芸術文化交流センターKuste ※②
    9時〜17時、枇杷倶楽部のみ10時〜、※①初日13時〜、※②最終日15時まで

「原爆の図」は、広島出身の水墨画家・丸木位里さんと、妻で油彩画家の俊さんが、夫婦共同で30年以上に渡り制作に取り組んだ15部の連作だ。
1945年8月6日8時15分、広島に原子爆弾が投下された。数日後、疎開先の埼玉県南浦和にいた丸木夫妻は、両親や親戚の暮らす広島に駆けつけ、広島での惨状を目のあたりにした。終戦から3年後、原爆の図を制作することを思い立った。
丸木夫妻が最初の原爆の図を発表したのは1950年、東京都美術館で開催された「日本アンデパンダン展」であった。のちに「幽霊」と題された作品は、縦1・8メートル、横7・2メートルの麻紙に水墨を用いた大作で、勤労奉仕隊の女性たちの被爆直後の姿が描かれていた。「幽霊」の発表から半年後、「火」と「水」が同時に発表された。
米ソ両国が核兵器の開発を競い合い、世界的に核兵器禁止をもとめる署名運動が広がり始めた時期であった。まだ占領下にあった国内で、等身大の被爆者の群像を描いた絵は、原爆の悲惨さをほとんど知らされていなかった人たちに大きな衝撃を与えた。
丸木夫妻は「原爆の図」を一部につき8本の掛け軸に仕立て直して、爆心地近くで開かれた展覧会を起点に、全国巡回を始めることになった。
1953年までの約4年間、北海道から鹿児島まで日本列島各地を巡回した原爆の図の展覧会は170か所を数え、学校や公民館、デパート、映画館、寺、教会、旅館、駅舎、公園などで開催された。労働組合や学生自治会、文化サークルを中心にさまざまなボランティアに支えられ、開催日数はのべ600日以上、観客数は約170万人をこえたと推測される。
全国巡回中に「虹」と「少年少女」が発表され、その後も「原爆の図」は描き続けられ、全15部の連作となった。八幅対の掛軸だった作品は現在は屏風仕立てになっている。
今回巡回する原爆の図は、1967年に開館した埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」から借り受けた原寸大の複製画で5点が展示される。丸木美術館の記録に残る限りでは、安房地域での巡回展は今回が初めてになるという。原爆の図をとおして、丸木夫妻が核兵器のない平和な社会を願った思いや、単なる虐殺の記録ではなく、この世界に存在していたかけがえのない生を記憶する絵画に、思いを重ねてみては。

主催:館山市被爆者同友会(勝浦市会場のみ千葉県原爆被爆者友愛会主催)

問い合わせ/古畑
電話/090-2440-4544

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*542号掲載

カテゴリー:トピックス, 特集

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