狛犬巡りで初詣
安房の江戸狛犬を訪ねてみよう。
◆狛犬について
初詣で足を運ぶ神社の入口に鎮座している2匹の守護獣像は「狛犬」と総称されている。それぞれの口元は「阿吽(あうん)」の形を表している。角なしの「阿像」が獅子で、口を閉じた角ありの「吽像」が実は狛犬である。
エジプトやチグリス・ユーフラテス川流域で栄えた古代文明では、百獣の王であるライオン像の流れを汲み、古代インドでは、仏像の両脇に置かれていたという。シルクロードを通って、中国古来の霊獣と同化して、朝鮮半島の高麗を経て、6世紀頃に日本に伝来されたといわれている。
日本では、宮中の御帳の鎮子(重し)として使われていたのが、神社やお寺に伝わるようになった。ほとんどが木で造られていた獅子と狛犬が、神社の参道に置かれ、風雨にさらされても良いよう石造となるのはもっとあとのことである。
江戸時代に入って、獅子と狛犬は庶民が奉納するという形で急速に変化を見せ、普及していった。猛々しいところがなくなり、子どもを連れていたり、玉を持っていたり、バラエティに富んだ顔つきになっていった。さらに時代を経るに従って獅子と狛犬の区別が曖昧になり、呼び方も単に「こまいぬ」になったのである。
安房には個性的な狛犬がいるので、神社を訪れる際にじっくり観察してみよう。
◆狛犬を見るポイント
大きさ、髪型、尻尾の形、足元などを見てみよう。なかには足元に玉があったり、子犬がいる狛犬もあるので、より一層愛着が湧くはず。
前脚の根元に装飾として彫り込まれている「走り毛」は翼の名残りで、はるか遠く西アジアに起源を持つ聖獣に生えていたといわれるものだ。
◆香指神社
(鴨川市太海2370)
建立年代不明。安房の三名工の一人、武田石翁の作と伝えられている。太海の海沿い高台にある。
◆賀茂神社
(南房総市加茂2070)
慶應元年(1865)11月建立。鳩胸で頭が丸く眉から突き出した独特な風貌の江戸流れ狛犬。
◆諏訪神社
(館山市正木4294)
明和9年(1772)2月建立。宝珠と角の付いた江戸尾立の逸品で、歯並びが印象的。丁寧な造りで、姿も保存状態もとても良い狛犬。
◆鶴谷八幡宮
(館山市八幡68)
文政3年(1820)建立。長須賀の石工・鈴木伊三郎の作。ずんぐりむっくりしていて、ニコッと笑っている。
◆八雲神社
(館山市正木1378-1)
弘化4年(1847)7月建立。江戸京橋の石工・藤兵衛の弟子包吉の作。親子連れの狛犬で、たてがみと尾の流れが美しい。
◆瀧淵神社
(南房総市富浦町多田良1193)
寛政3年(1791)3月建立。明治時代に旧日本軍の射的場となった大房岬から現在の地に移設された狛犬。役行者縁の神社で、境内には石造物が多数ある。
◆荒磯魚見根神社
(南房総市千倉町忽戸1042)
弘化2年(1845)6月建立。大きな目と渦巻く長いたてがみが美しい狛犬。フェニックスが生える境内は南国的な雰囲気を湛えている。
◆下立松原神社
(南房総市白浜町滝口1728)
寛政6年(1794)6月建立。阿は宝珠、吽は角付き、尾は団扇型の狛犬。あごひげはカールしていて、ひょうきんな顔。
◆海南刀切神社
(館山市見物788)
天保10年(1839)5月建立。楠見村の石工・田原長左衛門の作。理知的で思慮深そうな狛犬。
地元の石工の技と工夫が冴える狛犬
川野明正(明治大学法学部教授、大学院教養デザイン研究科教授)
房総半島は、私が住む三浦半島とはよく呼応している。狛犬も互いに対岸の石工の制作であることも多い。江戸初期のタイプに通じる尾が体についた狛犬も両半島に多いし、江戸の名工の狛犬が船運により設置されることもある。
房総の狛犬は、江戸狛犬の流れを汲みつつ、武田石翁や俵光石(高村光雲の弟子)など名工の制作もある。個別には江戸狛犬とは全く似ない狛犬もあって、地元石工の技と工夫が冴える点も房総の狛犬の魅力だろう。
*455号掲載