安房美術会100周年記念展
長きにわたり安房の美術文化を牽引
- 4月3日(土)〜11日(日)10時〜17時 ※3日は12時〜、11日は16時まで、南総文化ホールは月曜休館
- 会場:館山市コミュニティセンター 展示ホール 「会員」作品展(春季展)/千葉県南総文化ホールギャラリー 「物故会員及び顧問」作品展
大正時代に設立 多彩な文化人が尽力
安房美術会の歴史は古く、発足は大正10年(1921)。今年で100周年を迎える。ちなみに、鉄路が房総半島を南進し、その2年前の大正8年に安房北条駅(現館山駅)が開業している。発足の背景には、観光振興と関東大震災からの復興、そして地域文化の向上があった。当初は画家のほかに出版人、歌人、俳人、文人が集まり、バラエティに富んでいた。
安房美術会の設立の中心になったのは、美術館のミュージアムショップの絵はがきの老舗「京都便利堂」の創業者で、東京で社会風刺漫画雑誌「東京パック」を発行した中村有楽(「楽土の房州」発行人)。館山の北条町に来た中村有楽は、房州の観光宣伝につとめながら、安房地域の文化人たちと交流。それが「安房美術会」の誕生となり、初代会長を務めた。
大正13年7月に開催された第1回美術展覧会は、館山の銀座通りにあったレストラン「鏡軒」で行われた。レストランの洋館は前年の大正12年9月の関東大震災で潰れていたので、バラックのよしず張りの中でのスタートだった。展覧会では毎回入場料を取りながら、かなりの入場者があったという。
第1回目の出品者の顔ぶれを見ると、鋸南町保田に住み始めたばかりの石原純(アインシュタインと親交のあった理論物理学者)や原阿佐緒(アララギ派の女流歌人)らが名を連ねていた。館山の長須賀に眼科医を開業した日本画家の斎藤光雲も創立時の主要メンバーであり、戦後の混乱期まで長期にわたり会長を務めた。
「館山美術会」から 再び「安房美術会」へ
昭和9年に安房美術会は、房総観光協会や東京湾汽船会社などの後援を得て、東京日本橋の白木屋(百貨店)で「房総風景紹介展覧会」を開催した。房州の自然や風景を紹介して、旅行客の来遊を促すための観光振興に大いに寄与した。
戦争と戦後の混乱期を経て、館山市文化祭に参加してから入場無料とした。昭和29年に「安房美術会」は「館山美術会」に改称、昭和60年から館山市文化祭「館山美術会展」は公募展とし一般からも出品を募った。平成29年にふたたび旧来の「安房美術会」に改称、「会員相互の創作活動を活発にすると共に安房地域の美術文化の振興をはかることを目的とする」の活動理念を掲げ、春と秋に美術展を開催している。現在の安房美術会は、洋画・日本画・彫刻・工芸の4部門があり、会員60余名が日頃の研鑽の成果である作品を発表している。
今回は記念展として、2つの会場で開催される。現会員の作品は「春季展」を兼ね、館山市コミュニティセンター展示ホールに、そして物故会員及び顧問の作品は、所蔵者の協力のもとに南総文化ホールギャラリーに展示する。斎藤光雲はじめ石原純など安房美術会の草創期の会員や、美術会顧問をつとめた岩崎巴人など19名の作品を展示している。これまでの安房美術会の年表も掲示し、安房美術会の100年を振り返る。
問い合わせ:事務局(石井)
電話:0470-27-3087