「華の栖ー畠山勇子と加藤りん」
幕末から明治にかけて、この地で生まれ育った
二人の女性を描いた「華の栖ー畠山勇子と加藤りん」。
房州を舞台にしたこの一冊。
終章は「古川橋の上で」。著者が、この本を執筆するにいたった経緯が書かれている。
古川橋は国道128号線と410号が交差する安馬谷交差点の近くにある。古川は明治・大正の頃は、商店が軒をつらね賑わいをみせ、安房の中心地のひとつでもあった。いまでもかすかに当時の名残が感じとれる。
加藤りんは嘉永6年(1853)、船形・堂の下(館山市)の生まれ。
幼い頃に失明するが、三味線に興味をおぼえ、盲目の義太夫語りとして10代半ばから舞台に上っていた。
旧丸山町宮下に嫁ぐ。後に、東京に出て芸を磨き、鶴沢文重の芸名で義太夫語りとして安房を中心に活躍した。
畠山勇子は慶応元年(1865)、鴨川・前原の生まれ。
古川橋の近くにあった「若松屋」という商家に嫁ぐ。後に出奔。
明治24年、ロシア皇太子が襲撃された大津事件を憂い京都で自刃をとげ、「房州の烈女」として歴史にその名を残す。
そして、小幡さんの嫁ぎ先は、かつての若松屋の跡地だったことを、後年知ることになり、この二人の女性との浅からぬ因縁を感じる。
「2年前の3月11日、あの大震災があってから、筆もとまり、一冊の本にすることはあきらめかけていました。その後、がんと診断され手術を余儀なくされたんですが、こんなことでめげていてはと気をとりなおし、二人にはげまされ、まとめ上げました」。
長年興味を抱いて調べ上げた史実や伝承に創作を交えて、二人の女性を主軸とした時代小説として書き上げたのがこの「華の栖」だ。
小幡さんは、日頃は館山市大井にある居酒屋「むかし茶屋・山の花」を営む。かたわら、「安房の人形浄瑠璃復活をめざす会」の事務局もかね、また、5年前に、義太夫も本格的に学び、「平成のおりん」をめざし、伝統芸能の復活にも惜しみない力を注いでいる。
「強く思いどおりに生きて、この橋を渡っていった『勇子とりん』。私も、この二人のように華の栖を得て、いつかこの『古川橋』を渡って越えて行かなくてはならない」。
最後はこの一文でしめくくられている。
「華の栖ー畠山勇子と加藤りんー」
小幡治枝 著 定価1,890円
発行 コアブックス
※お求めは宮沢書店、ブックセンター近田屋、鴨川書店ほか。
お問い合わせ/「むかし茶屋・山の花」
Tel&Fax 0470-24-9570
*321号掲載
1月19日(日)の公演を楽しみにしていました。期待を裏切らない、引き込まれる素晴らしい舞台でした。
何よりも、会場での私語が無く、観賞している方の表情で納得いたしました。「華の栖」時間をかけて、ゆっくり読みます。